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| 復刻!諸国瀧廻り |
北斎のこのシリーズにはいわゆる墨版がなく、かわりに本藍で摺られた線が主版となる。北斎は墨色を用いず、藍や茶の濃淡などの色面を構成して作品を仕上げていたことが判る。
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〔彫師のコメント〕 歌麿や広重の線は、素直だから、そのまんま素直に彫ればいい、でも北斎の線は、「さび」た線で、すっとまっすぐに彫れない。まっすぐに彫っちゃうと、北斎の絵にならないんだよ。何でかって?ほら、北斎の線にはくせがあるだろう、細いところと太いところ、そしてまっすぐでなく、複雑な線の勢いがある。これが北斎の線。これを彫るには刀の入れ方から変えないと彫れないんだよ。だから北斎の彫りは他の浮世絵より時間がかかるし神経も使うね。 この「瀧廻り」は、それに加えて水の表現がぜんぶ違う。全部違うタッチの彫りになる。それにこの水しぶき。この水玉をひとつひとつ彫るんだ、ただこれも素直にくるっと丸く彫ったら北斎の水しぶきにならない、水玉も北斎の線にしなきゃ。これがたいへん。画面はとても単純に見えるけれど、「これが彫れたら一人前」といわれるのが北斎の版画なんだよ。 |
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〔木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧〕 (きそじのおくあみだがたき)
岐阜県郡上市白鳥町にある瀧で、落差が80メートルにも及ぶ名瀑の一つ。 法師が洞窟で祈ったところ、阿弥陀如来の姿があらわれたところからこの名がついた。
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〔東海道坂ノ下清瀧くわんおん〕 (とうかいどうさかしたきよたきくわんおん)
東海道鈴鹿峠の坂下宿傍らの石窟に、阿弥陀如来、十一面観音、延命地蔵の三体が安置され、広く信仰をあつめて賑わったといわれる。岩肌に沿うように流れ落ちる瀧は、粘り気のある液体のようにも見える。
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〔木曽海道小野ノ瀑布〕 (きそかいどうおののばくふ)
長野県木曽郡の寝覚の床に近く、現在も豊富な水量をみせる名瀑である。小野の瀧は御嶽信仰の行者にとっては水行の場でもあった。広重も木曽街道六十九次「上ヶ松」で同じ瀧を描いている。
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〔下野黒髪山きりふりの瀧〕 (しものつけくろかみやまきりふりのたき)
華厳の瀧、裏見の瀧とならぶ日光三名瀑の一つ。当時は日光東照宮への途次、参詣人のほとんどがここに立ち寄り、この名瀑を見物して旅の疲れを癒したという。
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〔相州大山ろうべんの瀧〕 (そうしゅうおおやまろうべんのたき)
江戸から十八里、相模の大山寺に詣でる参詣者は奉納用の木太刀を持ち、良弁瀧(ろうべんのたき)で楔を行ったのち山頂を目指した。
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〔美濃ノ国養老の瀧〕 (みののくにようろうのたき)
岐阜県養老山地北部にある瀧で、落差30メートル、幅4メートルに及ぶ名瀑。 古くから霊泉として聞こえ、親孝行の息子が汲んだ瀧の水が酒に変わり、父親を喜ばせたという養老伝説で有名。豊かな水量でまっすぐに流れ落ちる瀧を真正面から描く。勢い良く落下した水は白い飛沫をあげながら四方へ飛び散る。圧倒的な水しぶきを笠でよけながら見物する二人の旅人。
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〔東都葵ヶ岡の瀧〕 (とうとあおいがおかのたき)
港区赤坂溜池東端のあたりにあった小さな瀧。瀧というより堰から流れ落ちる水流程度のものだが、江戸では名所だったのだろうか、広重の名所江戸百景にもこの瀧は登場する。向かって左上の建物が辻番所、土手際の坂道が葵坂とみられる。一筋の波もない静かな池面からささやかに流れ落ちる瀧、瀧下の水面も穏やかに波立つ静かな街中の景色。このささやかな瀧を北斎は点描だけで表している。数々の水・波を描いた中でもこの表現は異色であり、印象派に先立つことあるか以前にこのような表現を「発明」した北斎はまさに天才といえる。
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〔和州吉野義経馬洗瀧〕 (わしゅうよしのよしつねうまあらいのたき)
義経が馬を洗ったという言い伝えが残る伝説の瀧。馬と馬を洗う二人の男を描く。豊富な水は蛇行しながら落下し、飛沫を上げる。瀧というよりは勾配の急な川のなかの一場面といった風景である。男たちの足元の不規則な波の表現は、滞留した水があちこちの岸にぶつかりながら緩やかに流れていく様をリアルに表現している。
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葛飾北斎 宝暦10年(1760)〜嘉永2年(1849)
江戸本所割下水(現在の墨田区・両国付近)に生まれる。十九歳の時、浮世絵界きっての巨匠・勝川春勝に入門し「春郎」と号して役者絵などを描いた。のち狩野派をはじめ、大和絵や琳派、雪舟流、中国画など、各種の流派や画風を学習し、自己の作風へ吸収していった。なかでも西洋画の影響は大きく、陰影法や遠近法を駆使した風景画はやがて名作「凱風快晴」を含む「冨嶽三十六景」へと大成していく。北斎の旺盛な制作意欲は、肉筆美人画、狂歌絵本、読本挿絵など多分野に注がれ、『北斎漫画』全十五冊、『冨嶽百景』全三冊などを次々と生み出した。北斎は、生涯に亘って何事においても一点に安住することなく、自己改造・自己変革に努め、改号すること三十回以上、転居すること九十三回という奇行は伝説的ですらある。新しい表現の追及と旺盛な想像力のもとに生み出された作品は、西洋の画家たちに大きな影響を与え、今なお世界で最も有名な日本人画家のひとりとして記憶されている。 |
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「諸国瀧廻り」全8図セット 106,050円(税込・送料別) ◆「諸国瀧廻り」全8図紙製タトウ入 ◆解説書付 |
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「諸国瀧廻り」単品 1枚:12,600円(税込・送料別)
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[木版画仕様] 制作 東京伝統木版画工芸協同組合 摺法 手摺木版画 版木 桜材 用紙 越前生漉奉書(人間国宝・岩野市兵衛漉元) 版画寸法 天地37.0cm x 左右25.5cm 台紙寸法 天地48.5cm x 左右33.5cm |
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「諸国瀧廻り」専用額 8,400円(税込・送料別)
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[専用額仕様] 寸法 縦51cm x 横35cm x 厚さ2cm 材質 木製・アクリル 重さ 1.3kg 日本製 |
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推薦のことば
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葛飾北斎美術館 館長永田 生慈
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この「諸国瀧廻り」全八図の揃物は、版元の西村屋与八が天保4年(1833)に出した広告(種繁作『改色団七島』巻末広告)に見い出せるので、北斎の作画は70歳代初頭であったとみて差し支えはないだろう。北斎はこの年代に「富嶽三十六景」をはじめ、「諸国名橋奇覧」「千絵の海」など、代表的な風景版画のシリーズを並行して発表した時代であった。 なぜ北斎は、世界に誇るこれら大作を、この年代に集中して制作したのだろうか。実は、70歳代前半の風景版画のほぼ全ての作品には、一貫した北斎の芸術的追及が込められているのである。それは主題となる対象物を様ざまな角度から捉え、本質を探ろうとするものであった。今回復刻の運びとなった「諸国瀧廻り」も、そうした精神に貫かれて制作されたものといっていい。千変万化する捉えがたい水の本質を探ろうとするのが、この揃物の主な目的なのである。すでに「諸国名橋奇覧」の復刻を完成された名工の方々が、再び北斎の名作を現代に蘇えらせ、その神髄を当時の伝統技法で後世に伝えるという困難な作業に取り組まれることは、技術継承というだけでなく、重要な日本文化の継承であるともいえ、計り知れないほど意義深いものがあるといえる。 ここに全図の完成を大いに期待しながら、関係の方々に大いなる敬意を表したい。 |
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