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“近代最高の文人画家”と称賛された小杉放菴画伯。
自由奔放に生きた良寛を暖かいまなざしで描いた名作が、
精巧をきわめた限定木版画でよみがえる。

近代日本画壇に異彩を放つ孤高の芸術家---小杉放菴画伯。
心暖まる筆致で人間放菴の姿をとらえた傑作を完全再現。

[作品内容]
▲桐箱の蓋裏には、限定番号と放菴画伯の子息で本画の監修者である小杉一雄先生の署名・番号・落款入り証書が貼られます。

画寸法縦42.7×横42.2cm
掛軸寸法縦135.0×横61.5cm
*           *
作品名「良寛和尚月中舞」(出光美術館蔵)
限定部数限定180部(限定番号入り、監修者による署名・落款証書付)
技法/工房伝統手摺木版画/高橋工房
彫師/摺師松田俊蔵/遠藤忠雄
用紙越前特漉麻紙(放菴の画風を一段とひきたてるために、麻の繊維を細かくたたいて版画用に特別に漉いた用紙)
*           *
表装大和仕立て一文字廻し風帯付
上・下正絹古代桂
中廻し正絹支那羽(別織)上
一文字・風帯竹屋町金欄牙色朱箔唐花
軸先新象牙
桐箱桐柾目印籠蓋/うこん(黄色)布付
タトウ箱/輸送保管用外箱付
箱書矢萩春恵(書家・毎日書道会審査員)
245,800円(税別・送料込)



小杉放菴(こすぎほうあん)
明治・大正・昭和を生きた
脱俗の文人画家

 洋画家から日本画へと、異色の画歴をもつ放菴画伯。画題は山水・花鳥をはじめ、「金太郎」「良寛」「芭蕉」といった歴史・説話上の人物など多岐にわたりました。その卓越した詩文の才と心やすらぐ東洋的な作風は“近代の文人画”と賞賛されました。晩年は、新潟県妙高高原にひきこもり、日本画壇に独自の画境をきづく珠玉の名品を生み出しました。
略歴
明治14年栃木県日光に生まれる。
明治40年洋画家・五百城文哉の弟子となる。「未醒」と号す。
明治44年文展出品の「水郷」最高賞。
大正2年ヨーロッパを遊学。
大正3年日本美術院の再興に参加。
二科会審査員となる。
昭和10年「放菴」と号す。
昭和12年帝国芸術院会員となる。
昭和20年代この頃より、説話に題材をとった名品を多数制作。本画「良寛和尚月中舞」を制作。
昭和35年画業60年展を日本橋屋で開催。
昭和39年逝去、享年83才。
天衣無縫の人・良寛

 良寛は、宝暦8年(1758年)越後・出雲崎の名主の子として生まれた。
 18歳のときに仏門に入り、「良寛」と号した。漢籍作詩を学ぶ一方、禅の厳しい修行をつみ、諸国を行脚。 40歳ころ帰郷した良寛は、国上山の五合庵に定住し、作歌、作詩、書に親しむ。子供とともに遊び自然を愛した無私無欲の生き方から、庶民に「良寛様」と親しまれ、天保2年(1831年)74年の生涯を終えた。

良寛遊戯
(全国良寛会会長)小島寅雄 
 小杉放菴先生の「良寛和尚月中舞」を眺めていると、子どもと遊ぶ良寛和尚の心が伝わってくる。良寛和尚を深く感得していられる放菴先生であればこそ、このように良寛の心を美事にとらえた絵が描けるのであろう。
 良寛和尚が子どもと遊んだことは万人の知るとことであるが、解良栄重が書いた「良寛禅師奇話」にも「師、常に手まりをつき、はじきをなし、若菜をつみ、里の子供と共に群れて遊ぶ」とあり、また良寛和尚自身の詩歌にも「霞立つながき春日を子供らと手毬つきつつこの日くらいつ」とか「日日日日また日日しずかに児童伴ってこの身を送る」などがある。
 このように子供と無心に遊ぶ姿は、悟道に至った人のまぎれもない崇高な形であると私は思っているのである。
 小杉放菴先生の作品には私はかねてから心をひかれていたのであるが「放菴画談」(中央公論社版)を読んでより、その枯淡な境地に接し、ますます思慕の念を深めたものである。
 良寛和尚の愛を余すことなく描きつくした「良寛和尚月中舞」を床の間に飾って坐っていると、心が静かになり時の過ぎるのを忘れるのである。
放菴居士と良寛さん
早稲田大学名誉教授小杉一雄 
美術史家(放菴画伯・子息)
 父の放菴居士の一生を眺めると、若い頃の油絵時代から、突然に放菴流の南画に変わります。
 30歳頃、当時の文展の最高賞、二等賞をつづけてとり、新進の花形画家として乗り込んだフランスで、俺には帰って行くべき東洋画の世界があると見切りをつけて、さっさと帰って来てしまいました。
 そして油絵から、放菴流の水墨南画の道へと進むことになるのです。
 画題はいろいろですが、父は道釈人物のなかでも、ことに良寛さんが好きでした。
 飄々として山寺をさして帰っていく姿、無心に子供達と遊びたわむれる良寛。
 それに良寛さんの書も好きで、父の書風にはいくらか良寛さんの影がさしているのかも知れません。
 そんな放菴居士の良寛さん好みを見ると、何となく時空を超えた良寛さんとの付き合いがあったとさえ思われてなりません。